旧日本軍司令部跡、本格調査へ 首里城地下壕、総延長1キロ―「沖縄の悲劇決定」負の遺産
2023年09月25日07時03分
太平洋戦争末期の沖縄本島で、本土防衛の最後の拠点として住民を巻き込んだ地上戦を展開した旧日本陸軍第32軍司令部の地下壕(ごう)が、首里城(那覇市)の地下に眠っている。戦況悪化に伴い、司令部は地下壕を捨て南部へ撤退したことで犠牲者は拡大し、死者は二十数万人とも言われる。沖縄県は「負の遺産」の保存、一般公開に向け、今月末にも本格調査に乗り出す。
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地下壕は1944年12月、沖縄防衛のため創設された第32軍によって首里城の地下に坑道が造られた。住民も動員して張り巡らされた坑道の総延長は約1キロにわたり、5カ所の坑口が設けられた。作戦室や無線室、兵士らが寝食をする部屋などがあった。
45年4月、米海兵隊が沖縄本島中部の読谷村に上陸すると、司令官の牛島満中将や幕僚らは司令部壕から戦闘を指揮。翌5月には、本土決戦までの時間を稼ぐため、住民が多く避難していた南部に撤退し徹底抗戦する方針が決定された。
県によると、撤退時に地下壕の主要部や坑口などが爆破され、崩落や水没で劣化は著しいという。1993年から2年間、唯一坑口が確認されている第5坑道などで試掘調査が行われたが、落盤の危険から大部分は手付かずのままだった。2019年の首里城火災を機に、地下壕の公開を求める県民の声が広がり、県は21年に基礎調査を行った。
県は今月末にも、まず測量調査に着手し、ボーリング調査や磁気による坑道の構造把握、埋没した坑口の表土の除去を行う方針。司令部中枢に近い第1坑口と、第5坑口を優先的に調査、整備し、焼失した首里城正殿の公開に併せて26年の公開を目指す。調査の結果を踏まえ、仮想現実(VR)技術の活用なども検討し、内部の公開を検討している。
市民らでつくる「第32軍司令部壕の保存・公開を求める会」の前城直美さん(66)は「軍が持久戦を選択し、沖縄の悲劇が決定された場所。物言わぬ語り部にすべきだ」と話している。