愚直な姿勢、貫き大願 故郷思いの霧馬山―大相撲・草原からの飛躍(上)
2023年05月31日07時16分
大相撲に「大関霧馬山」が誕生する。入門当時は体重100キロにも満たなかった青年が27歳となり、飛躍を遂げた道のりを振り返り、長く看板力士として活躍するための課題を探った。
鍛え抜かれた足腰 霧馬山、求められる対応力―大相撲・草原からの飛躍(下)
◇食べて蓄えた馬力
広大な草原が原風景だ。モンゴルの首都ウランバートルから遠く離れた場所で遊牧民の子として生まれ、乗馬や水くみで足腰の強さが育まれた。
18歳で来日。所属する陸奥部屋の若者頭、福ノ里さん(元十両)は当時の細身な体に「大丈夫かな」と思ったという。同時期に来た他の新弟子候補に比べて体格は劣っていたが、動きの良さが師匠の陸奥親方(元大関霧島)の目に留まった。
言葉や生活には戸惑った。早起きは苦手。慣れない魚料理は喉を通らなかった。師匠に「食べないと、力がつかないぞ」と諭され、ひたすらかき込む日々。同郷の横綱鶴竜が陸奥部屋に転属し、引退後には部屋付き親方となった。先輩の教えもあって納豆なども口にするようになり、一度に丼飯3杯を食べられるまでに。馬力に磨きをかけた。
真面目で熱心な性格。福ノ里さんは、弱音を吐く姿は見たことがないと振り返る。「もう駄目だ、と言わない。常にストイックに追い込んでいる」。最近は出稽古で強い相手との手合わせに励むなど、貪欲さも芽生えた。
故郷への思いは強い。十両昇進が懸かっていた当時、出世を果たせば、里帰りできることになっていたが、本人には自信がなく、こっそり両親を日本に呼んだことがあった。休場中の地方場所でモンゴル料理を食べに出歩き、福ノ里さんに叱られたことも、今となっては笑い話だ。
「やることをやれば、結果はついてくる」と霧馬山。愚直に稽古を重ねて大関に。日本まで駆け付けた両親と喜びを分かち合った後は、胸を張っての帰郷が待つ。