大谷、「二刀流」危機は幾度も 疑問の声、結果で封じる―WBC
2023年03月22日20時25分
投打にわたる奮闘で日本を3大会ぶりのワールド・ベースボール・クラシック(WBC)制覇に導き、最優秀選手(MVP)に選ばれた大谷翔平(エンゼルス)。米大リーグに挑戦してからの道のりは全てが順調だったわけではない。
メジャー1年目の2018年。力をアピールしなければならないオープン戦で、打者としても投手としても結果を残せなかった。日本ハム時代に二刀流で活躍して海を渡ったものの、メジャーよりも格下とみられている日本での実績。米記者からは「マイナーも覚悟しているか?」などと厳しい質問が飛んだ。
二刀流を疑問視する声は、反論ではなく結果で封じてきた。1年目、投手としては右肘を痛めた影響で10試合の登板で4勝2敗に終わったが実力の片りんを見せ、打者では22本塁打。新人王を獲得した。
18年秋に右肘の手術を受け、19年は打者に専念。20年に投手として復帰したものの、最初の登板ではアウトを一つも取れずに降板した。そして、21年のキャンプ中にはマドン監督(当時)らから登板日の前後に設けていた休養日の撤廃を提案された。
今では大谷の能力を最大限に引き出した英断と捉えられているが、本人は「ある程度形にならなかったら、この先(二刀流をどうするか)考える必要があるというニュアンスもあった」と受け止めた。その勝負の年に投手で9勝。打者では46本塁打でタイトル争いを演じ、ア・リーグ最優秀選手(MVP)に選ばれた。
18年夏。メジャーの壁にぶち当たりながら、前に進んでいた大谷は「毎日工夫して、どうやればもっと良くなるか考えてできている。日本にいる時より野球に対して考える時間も多いと思う。すごく充実している」と目を輝かせていた。苦難に直面しても地道な努力を重ね、ずばぬけた才能を大きく開花させた。今や大谷の二刀流を疑問視する声は、どこからも聞こえない。 (マイアミ時事)