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実績で各国の信頼勝ち取る 日本の有人宇宙開発切り開く―若田さん

2023年03月13日07時02分

米スペースシャトルでロボットアームの操作を終え、満面の笑みを浮かべる若田光一さん=2000年10月(AFP時事)

米スペースシャトルでロボットアームの操作を終え、満面の笑みを浮かべる若田光一さん=2000年10月(AFP時事)

  • 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の国際宇宙ステーション(ISS)計画責任者などを務めた三宅正純さん=2015年7月、カザフスタン・バイコヌール宇宙基地
  • 日本人宇宙飛行士候補に選ばれた当時の若田光一さん=1992年4月、東京都千代田区

 5回目の宇宙飛行を無事に終えた若田光一さん(59)は、ロボットアーム操作をはじめ高い能力と実績で、米航空宇宙局(NASA)や各国の宇宙飛行士、地上管制官の信頼を勝ち取るとともに、数々の「日本初」を実現し、有人宇宙開発を切り開いた。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の国際宇宙ステーション(ISS)計画責任者を務めた三宅正純さん(現JAXA監事)は「彼の活躍で、日本が各国から本当の意味で信頼できるパートナーになったと思われた。果たした役割は大きかった」と話す。

〔写真特集〕宇宙から見た地球

 1992年に飛行士候補に選抜された若田さん。翌年、NASAが米国人以外に開放したスペースシャトルの運用を担う搭乗運用技術者(MS)に日本人として初めて認定され、96年には初飛行を果たした。ミッションは成功し、若田さん自身の評価は高かったが、経験が浅い日本の有人宇宙開発全体への期待はさほど高くはなかった。
 三宅さんが「大きなきっかけ」と話すのは、若田さんがISS建設に加わった2000年の飛行。ISSの「背骨」となる構造物をアームで取り付ける役割を任されたが、作業直前にカメラが故障した。計画全体の遅れにつながりかねない中、同僚飛行士の目視と、アームの位置を示す座標の数値だけで見事に成功。「大きなインパクトだった。地上管制官チームも大絶賛し、彼と仕事がしたいと思わせた。『日本人やるじゃん』という雰囲気ができた」と振り返った。
 NASAでも、ロボットアームの教官や宇宙飛行士室のISS運用チーフなど重責を担った若田さんは、14年には日本人初のISS船長も務めた。18年にはJAXA理事に就任。その後も現役にこだわり、5回目の飛行を実現した。三宅さんは「未知の世界にチャレンジする気持ちはなくなっていないと思う。次、どういう形でチャレンジするのか、まだ高みを目指す姿を見たい」と話した。

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