「なるようになる」故郷へ 復興見守る70代夫婦―福島県大熊町・震災12年
2023年03月10日07時06分
東京電力福島第1原発が立地する福島県大熊町。原発事故の影響で、12年たった今も町面積の半分は帰還困難区域に指定され、居住人口も1000人程度にとどまる。それでも、伏見明義さん(72)と妻照さん(70)は戻ってきた。解体や基盤整備が進み、変わってゆく町の景色を眺めながら「なるようになる」と前を向く。
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昨年6月末に避難指示が解除された「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)内のJR大野駅。事故前は町の中心地だったが、現在は更地が目立つ。伏見さんは小児結核治療のため、幼い頃から駅前にあった県立大野病院に入院していた。「出身地ではないが、中学までいた大熊はふるさとになっていた」と語る。就職で東京に出た後、29歳で町に戻り、縁あって大野病院で働き始めた。
事故当時、運転手だった伏見さんは、車に患者らを乗せ、自身も着の身着のままで避難した。照さんとの出会いはそんな避難生活のさなか。2013年11月には、伏見さんの一時帰宅に照さんが同行。福島市内で仕事をしていた照さんは初めて訪れた町の雰囲気を「すごいことが起きたんだと実感した。人がいない怖さがあった」と振り返る。
復興拠点内の自宅は、事故直前の10年12月に建てた新築だった。自宅に住みたい思いや、故郷への愛着から帰還を決意した。まだ避難指示が解除されていなかったため、先行して解除された同町大川原地区の災害公営住宅に19年、夫婦で入居した。
20年4月からは、町から委託され駅の清掃員をしている。「来てくれた人が気持ち良くなるように」と、毎朝1時間程度かけて2人で階段や通路を掃き、手すりを拭き上げる。伏見さんは「毎日駅から景色を見ているが、どこに何があったか分からなくなる寂しさはある。でも、それは生まれ変わる段階だから」と語る。照さんも「自分にできることをやりつつ、復興を見守りたい」と同じ思いだ。
自宅には今春にも戻りたいと考えている。「一人で住むつもりで建てた家。戻ってこられるまで長かったけど、得られた縁もあるよ」と笑う伏見さん。照さんは好きな花を庭先に植えたり、絵を描いたりして過ごすのが楽しみという。2人は穏やかな暮らしを想像しながら、引っ越しの準備を進めている。