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「犠牲者にならない社会を」 息子の死契機に再発防止活動―阪神震災遺族と交流も・宮城の夫婦

2023年03月08日07時04分

オンラインで語り部活動する田村孝行さん(中央)と妻弘美さん(右)=2022年12月18日、宮城県女川町

オンラインで語り部活動する田村孝行さん(中央)と妻弘美さん(右)=2022年12月18日、宮城県女川町

  • 亡くなった長男のために設けた仏壇の前で話す田村弘美さん=1月28日、宮城県大崎市
  • 阪神大震災の犠牲者を悼む田村孝行さん(左)=1月17日、神戸市長田区

 東日本大震災で、宮城県女川町の七十七銀行女川支店では屋上に避難した行員らが津波に巻き込まれ、4人が死亡、8人が行方不明となった。息子を亡くした同県大崎市の田村孝行さん(62)と妻弘美さん(60)は「誰も犠牲者にならない社会を」との思いから、講演などを通じ企業防災の在り方を問い、再発防止に向けた取り組みを続けている。

〔写真特集〕【東日本大震災】宮城県女川町の状況

 長男の健太さんは震災当時25歳。入行3年目で、女川支店では融資の営業に精を出した。震災後、行方が分からなくなり、女川湾の沖合で遺体が発見されたのは半年後。身元はスーツのタグにあった「タムラ」で確定した。弘美さんは「もともと家に仏壇はなかったが、息子のために用意した」と肩を落とす。
 健太さんらは上司の指示で屋上に避難したが、田村さん夫妻は「近くの高台に逃げていたら助かったのでは」との思いが今も消えない。地震直後、健太さんが高台への避難を口にしていたことも当時の同僚から聞いた。他の遺族と共に銀行を相手取って起こした裁判では、津波の高さの予見可能性が主に争われたが、最高裁で敗訴が確定。ただ、高裁判決では高台への避難指示で命が救われた可能性について言及があった。
 「二度と同じようなことは起きてほしくない」。孝行さんは2019年、弘美さんと一般社団法人「健太いのちの教室」を立ち上げ、会社を早期退職した。人命に関わる被害を防ぐには、事前の備えや意見を言い合える職場環境が重要と考え、大学や企業向けに語り部活動やセミナーを続けている。孝行さんは「安全な社会、もう誰も私たちのような遺族にならない社会を実現したい」と訴える。
 阪神大震災の遺族との交流も続けている。息子を亡くすまで「人ごと」と考えていた反省から、15年1月に神戸市を訪れたのがきっかけだった。今年1月にも訪ね、遺族とともに犠牲者の法要に参加した。
 新型コロナ禍で往来が難しくなった際には、語り部活動のオンライン配信も行った。風化防止の活動を銀行とともに取り組みたいと考えているが、実現はしていない。孝行さんは「今後も銀行には『一緒に手を携えよう』と話していきたい」と語った。

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