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揺れる目標、戦争出口見えず 被害意識と正当化に終始―プーチン氏発言の1年回顧・ウクライナ侵攻

2023年02月23日07時34分

新年演説を行うロシアのプーチン大統領=2022年12月、南部ロストフナドヌー(AFP時事)

新年演説を行うロシアのプーチン大統領=2022年12月、南部ロストフナドヌー(AFP時事)

  • ウクライナ東・南部4州の「併合条約」調印後、祝賀集会で演説するロシアのプーチン大統領=2022年9月、モスクワ(AFP時事)

 ウクライナ侵攻を決めたロシアのプーチン大統領の言動に1年間、世界は翻弄(ほんろう)され続けた。「われわれから戦争を始めたのではない」(昨年12月7日)という欧米への被害者意識と、侵攻の正当化では一貫している。しかし、目標を巡っては発言にぶれがあり、戦争の出口を見えにくくしている。

プーチン的思考から予想するウクライナ侵攻の行方

 ◇ブチャは偽情報
 「(ミンスク停戦合意履行のため)粘り強く闘ったが、すべて無駄となった」。開戦前の昨年2月21日、プーチン氏はウクライナ東部ドンバス地方の「独立」を承認し、停戦合意を破った。翌22日に軍事行動も決め、侵攻は秒読みとなった。
 24日の開戦演説で「8年間虐げられてきた(ドンバス地方の)人々を保護することが目的だ」と指摘。「非軍事化と非ナチ化を目指す。ウクライナを占領する計画はない」と言い張った。発言はその後の占領や「併合」と矛盾する。
 「権力を手に入れろ」。電撃侵攻の翌25日にはウクライナ軍にクーデターをけしかけたものの、2014年のクリミア半島掌握時と異なり、隣国は強くなっていた。プーチン氏は「ロシアの要求がすべて満たされることが対話の条件」(3月4日)とドイツのショルツ首相に伝達。トルコなどでウクライナと停戦交渉が試みられたが、物別れに終わった。
 ロシア軍が撤退した首都キーウ(キエフ)近郊ブチャでは4月初旬、民間人の遺体が多数見つかった。プーチン氏は4月12日、侵攻後初の記者会見で「フェイク(偽情報)だ」と一蹴。「最初に設定された目的が完遂されるまで、軍事作戦を継続する」と動じる様子を見せなかった。
 「(侵攻は)必要かつ時宜にかない、唯一かつ正しい決定だった」。5月9日の対ドイツ戦勝記念日の演説で断言した。
 ◇制裁に強がり
 ロシア軍は5月に南東部の要衝マリウポリ、7月に東部ルガンスク州全域の占領を宣言したが、死傷者の増加や制裁が重くのし掛かる。プーチン氏は「(制裁は)うまくいかなかった」(6月17日、サンクトペテルブルク国際経済フォーラム)、「ロシアは何も失っていない」(9月7日、東方経済フォーラム)とあくまで強がった。
 ただ、9月に北東部ハリコフ州から撤退を強いられると、プーチン氏は国防省に責任を転嫁し、増兵のため9月21日に部分動員令を発出。国民向け演説で、東・南部を「歴史的領土」と位置付けた上で「ドンバス地方全域の解放を目指す作戦の目標は不変」「領土一体性が脅かされれば、ロシアと国民を守るためにあらゆる兵器を使う」と語気を強めた。
 「偽の住民投票」(欧米)を経て、9月30日に東・南部の「併合」を宣言。戦況がこう着し、各地を空爆して圧力をかける中でも、プーチン氏は「われわれは常にウクライナ人に敬意を持って温かく接している」(11月4日)と持論を述べた。11月9日には州都として唯一占領していた南部ヘルソンからの撤退命令が下された。
 「目標は戦争を終わらせることで、それを今もこれからも目指す。(終結は)早ければ早いほど良い」。12月22日にはモスクワで記者団にこう語り、対話を拒否するゼレンスキー政権を揺さぶろうとした。
 ◇核は虚勢でない
 目的は、非軍事化か、ドンバス地方「解放」か、終戦か―。プーチン氏の話の力点は揺れ動く。12月31日の新年の国民向け演説で「困難かつ必要な決断の1年だった」「祖国の防衛は、祖先と子孫に対する神聖な義務だ。われわれは道徳的、歴史的に正しい」と改めて主張した。
 しかし、ここに来て西側諸国がウクライナへの主力戦車供与を決めた。戦闘は激化の様相を示す。プーチン氏は今月2日、第2次大戦の独ソのスターリングラード攻防戦終結80年に合わせて演説し「再びドイツの戦車の脅威に直面している」と訴えた。
 クリミア半島やロシア本土が大規模攻撃された場合、プーチン氏はどう出るのか。「(核使用論は)虚勢でない」(9月21日)という警告が尾を引いている。

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