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健脚の「ミスター政府筋」 石原信雄氏

2023年02月02日07時08分

石原信雄さん

石原信雄さん

 海部政権時代の内閣官房副長官だった石原信雄氏の朝回り取材をしていた頃、いや応なく足腰が鍛えられた。車での渋滞を避けるため、首相官邸近くの地下鉄・永田町駅までいつも電車で通勤。担当記者も一緒に乗り、同駅の長い階段を上りながら毎朝質問をぶつけていたからだ。

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 電車内では石原氏もほとんど立ちっ放し。永田町駅のエスカレーター横の狭い階段は地上に出るまで息切れするほど長かったが、健脚の本人は「階段を上るのは運動なんです」と語っていた。
 こうした取材で聞いた石原氏の発言はオフレコのため実名では出せず、メディアは「政府筋」という言葉を使った。あらゆる施策に精通した石原氏は「ミスター政府筋」と呼ばれ、永田町や霞が関では「政府筋とは石原氏の代名詞」が常識となった。
 1990年のイラクのクウェート侵攻から91年の湾岸戦争に続く激動の中で、海部政権では自衛隊の海外派遣や日本の国際貢献の在り方が焦点となっていた。石原氏は質問に「聞いてません」「分かりません」などと短く否定することが多かったが、たまに「検討しています」と明確に語ることもあった。新聞各紙が大きな見出しで報じた「自衛隊の掃海艇派遣の検討」も、まさに「政府筋」の情報は端緒の一つだった。
 「湾岸戦争の時、わが国がどう対応するかいろいろ議論があった。多国籍軍に自衛隊を出すことについては結論が出なかった。戦闘終結後、自衛隊が機雷の除去をした。今の憲法の制約の下で最大限のことができた」―。石原氏は2018年の時事通信のインタビューで、歴代政権で印象に残ったことを問われ、こう答えている。
 首相官邸の事務方トップとして7人の首相を支え、「影の首相」とも呼ばれながら偉ぶることはなく、時折見せるその笑顔はチャーミングだった。去年亡くなった海部俊樹元首相らが石原氏を温かく迎えていることだろう。(時事総合研究所代表取締役・村田純一)。

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