政と官つないだ名裏方 掃海艇派遣に道―石原元副長官
2023年02月01日13時30分
1980年代後半から90年代半ばにかけての激動期に首相官邸で名裏方ぶりを発揮した元内閣官房副長官の石原信雄氏が死去した。政界を揺るがしたリクルート事件で実力者が次々に表舞台から退場し、自民党が下野するなど混乱期にあって、「政」と「官」の接点の役回りに徹しつつ、7年余の長期にわたって官邸の番頭役を務めた。
副長官に就任した竹下政権では1989年に、昭和天皇の崩御に直面。リクルート社からの借金が発覚した竹下登首相が退陣し、その後は不安定な政権運営が続く。
海部政権下で90年のイラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争で日本が人的貢献をできなかったのを教訓に、停戦後に機雷除去問題が持ち上がった。「戦闘行為が終われば、自衛隊は海上警備行動という自衛隊法の規定で機雷を排除できる」との見解を打ち出し、ペルシャ湾への掃海艇派遣に道を開いた。
宮沢内閣で天皇・皇后両陛下が92年に初の訪中を果たした時には「朝貢外交だ」と反発する国会議員や右翼団体を説得に回ったエピソードも。
非自民の細川内閣が成立した93年には、武村正義官房長官から続投を懇願された。羽田政権が超短命に終わり、自社さ連立政権を率いることになった社会党左派出身の村山富一首相に直談判し、日米安全保障条約の継続と、党是だった自衛隊違憲論の撤回を約束させた。
官房副長官の役割について「政に対し官の立場を申し上げる面と、政権の意図を官僚組織に徹底する面がある」と語っていた。30年前の出来事でも日にちや時間をそらんじる抜群の記憶力を持つ一方、下戸でまんじゅうに目がない一面も。「事情にたけた石原氏がいなかったら、歴代の政権、とりわけ連立政権は機能しなかっただろう」と力量を評価する声は多い。