「10番」と交代枠の起源 不世出の天才、ペレさん―サッカー
2022年12月30日15時56分
「史上最高のサッカー選手」―。数え切れないスターを生み出すブラジルで、ペレさんを形容する言葉は不変だ。今を時めくネイマールですらその存在を超えることのできない不世出の「天才」だった。
速くて、うまくて、そして華やか。前を向いたら誰も止められない。直前で判断を変えられる得意のドリブルで、相手を手玉に取った。パスもシュートも一級品。どれもが現代サッカーで通用するレベルで、時代の先を行くプレーをしていた。
当時のボールは精巧ではなく、芝のピッチも整備されていなかった。その環境下でも、プレーの正確性は際立っていた。「万能型。目標にはできない」。元日本代表FWの釜本邦茂さんは、偉大さをそう振り返る。
「10番」を特別な番号にしたのはペレさんだった。当時は無作為に割り振られていたが、17歳で初出場した1958年W杯スウェーデン大会でブラジルを初優勝に導く。圧倒的な存在感に世界中の注目が「10」に集まり、その後エースナンバーの代名詞となった。もし10番以外だったら、マラドーナやジーコも違う番号を着けていただろう。
ルールも変えた。全盛期にあった66年イングランド大会で、執拗(しつよう)なマークに遭い、負傷。1次リーグ最終戦のポルトガル戦は故障を押して出たものの、再び膝に相手のラフプレーを受けた。実質10人の戦いとなり、3連覇の夢が断たれる不運が、それまで認められていなかった選手交代が導入されるきっかけとなった。残した功績は華麗なプレーだけではない。今やサッカー界の常識もペレさんが起源になっている。(時事)