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比類なきW杯優勝3度 引退後は「伝道師」―死去のペレさん

2022年12月30日13時05分

W杯メキシコ大会、決勝でイタリアを下して優勝し、ファンに担がれて喜ぶペレ(中央上)=1970年6月21日、メキシコ市(dpa時事)

W杯メキシコ大会、決勝でイタリアを下して優勝し、ファンに担がれて喜ぶペレ(中央上)=1970年6月21日、メキシコ市(dpa時事)

  • 1962年サッカーW杯チリ大会の準々決勝を前に写真撮影に臨むブラジルのペレ=チリ・ビニャデルマル(AFP時事)

 故郷に電気が通じたばかりの時に生まれ、電球を発明したトーマス・エジソンにちなんでエドソンと名付けられた。後にペレと呼ばれ、世界のサッカー界にさん然と輝く存在になった。

サッカー王国、悲痛の声 ネイマール「ペレが全てを変えた」―ブラジル

 1950年に地元で開かれたW杯の決勝リーグ最終戦でブラジルがウルグアイに負けて初優勝を逃し、涙を流す父親を見て、9歳だったペレは「いつかチャンピオンになる」と誓った。ボール代わりに丸めた靴下をはだしで蹴り、ストリートサッカーに興じて育った少年が才能を見いだされたのは15歳の時。サンパウロ州の名門サントスと契約し、デビュー戦でいきなり初ゴールを決めた。ブラジル代表にも16歳で選出され、初出場のアルゼンチン戦で初得点を挙げる鮮烈さだった。
 17歳で初めて出場した58年のW杯では、世界に衝撃を与えた。出場2戦目の準々決勝で初ゴールを決めると、準決勝ではハットトリック。開催国スウェーデンとの決勝でも2得点を挙げ、後半10分のゴールが後に「伝説」と呼ばれた。
 サイドからのクロスを胸でトラップすると、迫ってきた相手DFを頭越しにボールを浮かせてかわし、落ち際をボレーシュートで突き刺した。高い身体能力と驚異的なテクニック。「サッカーで一番大事なことは何か」と問われて即答したという「インスピレーション」が完璧に融合したゴール。世界のスーパースターが誕生した瞬間だった。
 この大会でブラジルは初めてW杯の頂点に立った。ペレは4大会連続で出場し、3度優勝。これほどの実績を持つ選手は他にいない。強豪国にすぎなかったブラジルを「王国」に変えた。
 74年にサントスで引退した後は指導者の道を歩まず、「サッカーの伝道師」の役割を果たした。75年には「サッカー不毛の地」と呼ばれた米国のニューヨーク・コスモスで現役復帰して3年間プレー。サッカー熱を高めて男女若年層の競技人口を大きく増やし、94年W杯の米国開催にも貢献した。晩年まで広告塔として多くのイベントに出席し、自ら「美しいゲーム」と呼ぶサッカーの発展と普及に力を尽くした。
 私生活では3度結婚し、7人の子供をもうけた。最後の伴侶は、2016年に結婚した日系人の実業家マルシア・アオキ氏。病院に詰め掛けた家族に見守られて静かに息を引き取った。(サンパウロ時事)

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