天皇訪中「政治利用」を懸念 日本政府、91年の首脳会談―外交文書

2022年12月21日13時33分

北京市内の釣魚台で、楊尚昆国家主席(右)と会談する海部俊樹首相=1991年8月12日

北京市内の釣魚台で、楊尚昆国家主席(右)と会談する海部俊樹首相=1991年8月12日

 1991年の海部俊樹首相の中国訪問を前に、中国の求めていた天皇陛下(現・上皇さま)訪中について、外務省が「政治利用」を懸念し対応を慎重に検討していた状況が、21日公開の外交文書で分かった。(肩書は当時)

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 海部首相は91年8月に中国を訪れた。89年の天安門事件後、西側先進国首脳として初の訪中で、楊尚昆国家主席、江沢民共産党総書記、李鵬首相と相次いで会談した。
 当時、中国側は92年の陛下訪中に期待感を示していた。外務省は一連の首脳会談で招請があると想定。内部資料によると、前向きに返答する動機として「過去を清算するためいつかは行わなければならない」ことなどを挙げた。一方、事件で中国は国際的孤立を深めており、「今般の訪中で求めてくるのはあまりに虫がいい」「政治的に利用する意図があるのではないか」との慎重論も併記した。
 海部首相が北京を訪れる直前の91年8月7日には、外務省の宮本雄二中国課長が在日中国大使館の王毅参事官に「前向きな発言は(海部内閣の)延命策となりかねない。天皇をそういう形で政治的に利用することは許されず、今の段階で決めることはできない。今年の秋、新内閣の下で検討することが適当と考える」と、海部首相の政権運営が揺らいでいた国内事情を説明していた。
 結果的に、8月10日の北京での歓迎宴で李鵬首相が陛下訪中を「心から希望する」と伝えたのに対し、海部首相は「引き続き検討を進めていく」と応じるにとどめた。海部首相はこの後退陣し、11月に発足した宮沢内閣で陛下の訪中が決まり、翌92年に実現した。
 外務省は、海外からの中国への厳しい視線も意識していた。内部資料では、「先進7カ国(G7)首脳会議参加国の理解を得る必要がある」と強調。中国側に水面下で軍縮面での前向きな回答を求め、李鵬首相から核拡散防止条約(NPT)参加発言を引き出した。

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