掃海艇派遣、政治決断求める 駐米大使「挽回の機会」―外交文書
2022年12月21日13時34分
1991年の海上自衛隊掃海艇派遣を巡り、外務省が海部俊樹首相の政治決断を強く働き掛けていたことが21日公開の外交文書で明らかになった。(肩書、組織名は当時)
政府は91年4月24日にペルシャ湾での機雷除去のために掃海艇を送ることを閣議決定。自衛隊の海外派遣は初だった。
村田良平駐米大使は3月中旬の中山太郎外相宛ての公電で、湾岸戦争開戦後に被災民輸送のための自衛隊機派遣が見送られたとして、「米国からは実行する気のないことを口約束だけしたと冷たく受け止められている」と言及。「人的貢献を行えなかったわが国に対する評価を挽回する絶好の機会となる。政治決断の問題だ」と掃海艇派遣を具申した。
村田氏は3月上旬の公電でも、米国防総省の担当者から「自発的に掃海を申し出てくれれば有意義だ」と伝えられたことを報告した。
外務省は、内部の検討資料で「クリアすべき最大の論点は機雷除去が武力の行使に該当するかだ」と指摘する一方、「法的な面は防衛庁と内閣法制局の間で詰められるべきだが、基本的には政治決断の問題」との立場をまとめていた。
海部首相は3月22日、派遣決断を進言する外務省の栗山尚一事務次官に対し、工藤敦夫内閣法制局長官との協議を指示。これを受け、同26日に栗山氏と工藤氏が協議。栗山氏は「他の国に掃海させたところへ日本の船が行って油を取ってくる、では国際的に極めて不適当」と主張した。