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【中国ウォッチ】中国指導部の新型肺炎対応に謎 ~習主席、本当に「自ら指揮」?~

2020年02月24日18時00分

世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長(左)と握手する中国の習近平国家主席=1月28日【EPA時事】

世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長(左)と握手する中国の習近平国家主席=1月28日【EPA時事】

 中国内陸部有数の大都市である武漢市(湖北省)で昨年12月初めから広がった新型肺炎への共産党指導部の対応には幾つもの謎がある。最高指導者の習近平国家主席(党総書記)が対策を「自ら指揮している」とされているにもかかわらず、実際には習氏の存在感は薄い。習氏が自分個人の権力を強化してきたのは、まさにこのような国家の緊急事態に迅速かつ的確に対応するためだったはずだが、実際には習氏1強体制はいざという時にうまく機能していないように見える。

◇李首相に丸投げ

 習指導部は春節(旧正月)の元日に当たる1月25日、党政治局常務委員会の会議を開いて、党中央新型肺炎対策工作指導小組の新設を決めた。組長には指導部ナンバー2の李克強首相が就任した。党中央の指導小組や委員会の大半は習氏がトップを務めているので、意外な人事だった。

 社会主義体制では、全ての国家機関は執政党である共産党の指導下にある。まして、習氏は党・国家機構改革で党中央が国務院(内閣)の各官庁を直接支配する仕組みを強化しており、「衛生行政は国務院の管轄なので、首相に任せた」とは言い難い。

 しかも、李氏が同27日、対策指導小組の組長として武漢を視察したのに対し、なぜか習氏はなかなか動かず、春節明けの2月10日になってようやく医療現場を視察した。それも、自分が住む北京市内の病院などに足を運んだだけだった。

 習氏の影があまりに薄いので、2月初めには「習氏は体調を崩し、軍の病院で治療を受けている」といううわさも流れた。

 重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行していた2003年4月、当時の胡錦濤国家主席がSARS発生源の広東省各地を訪れて、医療関係者や住民を自ら激励したのとは対照的だ。広東を訪問した胡氏は病院を視察しただけでなく繁華街にも姿を見せて、陣頭指揮をアピール。胡氏は盟友の温家宝首相(当時)と二人三脚でSARS対策を進め、政治的威信を高めた。胡氏と違い、習氏は李氏に「丸投げ」である。

◇習氏発言、一時伝えず

 1月28日に北京で世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長と会談した習氏は新型肺炎対策について「わたしが一貫して自ら指揮し、自ら対処している」と強調した。その映像は国営中央テレビで報じられた。

 ところが、公式報道の決定版である国営通信社の新華社と党機関紙の人民日報は習氏のこの重要な発言をなぜか伝えなかった。新華社電などによると、習氏はテドロス氏との会談で、自分は新型肺炎対策の指導小組を設け、「統一的に指揮し、統一的に対処している」と述べた。「習近平主席が自ら指揮し、自ら対処している」はテドロス氏の発言とされた。

 また、親中派のテドロス氏は習氏の「個人的リーダーシップ」を称賛したが、新華社電などは「個人的」を削除して報じた。習氏個人の役割を薄めようとするかのような報道だ。

 その後、新華社を含む公式メディアは「習氏が自ら指揮し、自ら対処している」と伝えるようになった。最高指導者の発言に関する公式報道のこのような「ぶれ」に何か政治的事情があるのか、それとも単なる宣伝技術上の調整なのかは判然としない。

◇実は対策早期指示と釈明

 一方、武漢市の周先旺市長は1月27日、中央テレビの番組で「われわれは(新型肺炎関連情報)を適時公開できなかった」と自己批判した。ただ、同時に「これは伝染病であり、伝染病には伝染病防止法があって、それ(関連情報)は必ず法に沿って公開しなければならない」「われわれは地方政府として、この情報の入手後、権限を授かってはじめて公開できた」と述べ、新型肺炎対策が遅れた失態の責任を公然と中央に転嫁した。地方高官の発言としては前代未聞だ。

 これに対し、党中央は2月15日、理論誌・求是で、習氏が同3日の政治局常務委会議で行った演説の詳細を公表。習氏が「1月7日、わたしは政治局常務委会議を主宰した時、新型肺炎防止・制御工作に対して要求を示した」と語ったことを明らかにした。

中国・武漢の臨時病院で新型肺炎対策に当たる医療スタッフ=14日【EPA時事】

中国・武漢の臨時病院で新型肺炎対策に当たる医療スタッフ=14日【EPA時事】

 これが事実なら、習氏は新型肺炎対策の感染拡大に全力を挙げるよう命じた「重要指示」公表(同20日)の約半月前に、内部で対応を指示していたことになる。求是の報道には、新型肺炎対策で習氏の判断に遅れはなかったと強調する狙いがあるとみられる。

 しかし、本当に習氏が1月7日に具体的対策を指示していたのならば、その後も武漢で同市および湖北省の人民代表大会(議会)、数万世帯が参加する旧暦年末の宴会など大規模な行事が予定通り次々と開催されたのはなぜなのか。

 そもそも、1強であるはずのトップリーダーがこのような責任逃れの釈明をするのは、なぜなのだろうか。

◇焼け太り人事の実情

 党中央は2月13日、湖北省と武漢市のトップを同時に更迭する人事を発表した。解任された湖北省党委の蒋超良書記と武漢市党委の馬国強書記の後任にはそれぞれ、応勇上海市長と山東省済南市党委の王忠林書記が起用された。

 同じ日に国務院は、国政諮問機関である人民政治協商会議(政協)の夏宝龍副主席兼秘書長が国務院の香港マカオ事務弁公室主任を兼務すると発表した。同主任だった張暁明氏は副主任に降格(閣僚級の地位は維持)。香港とマカオの出先機関である連絡弁公室(中連弁)の両トップ(駱恵寧、傅自応の両氏)が同事務弁公室副主任を兼ねた。

 応氏と夏氏はいずれも習氏が浙江省党委書記だった頃の部下で、習派の中核を成す浙江人脈に連なる。

 今回の人事で応氏は上海市長に続いて二つ目の閣僚級ポストに就き、2022年の第20回党大会で中央指導部の政治局入りする可能性が大きくなった。

 また、習派は組織上、政府の香港マカオ担当部門を完全に掌握した。これまで事務弁公室と二つの中連弁の関係はあいまいだったが、事務弁公室が上位にあることが明確になった。政協副主席として閣僚より上の「国家指導者」である夏氏が、閣僚級の中連弁主任2人を配下に置くという異例の体制だ。

 新型肺炎の感染拡大は習氏の判断の遅れ、香港反政治デモの盛り上がりは習氏の香港民主派に対する過度な強硬姿勢が原因だった。にもかかわらず、習派は人事異動で勢力を拡大しており、「焼け太り」に見える不可解な人事である。

◇最後の皇帝説も

 このような人事が行われたのはなぜか。「習1強体制だから」と言ってしまえば、それまでだが、中国の政情に通じた香港のジャーナリストは筆者に「習氏の交流範囲は非常に狭いので、緊急時に他の勢力の人材を起用することができなかったのだろう」と解説した。中国の歴史学者、章立凡氏は英BBCの取材に対し、「現在、体制内外で(新型肺炎拡大について)責任追及の声があり、習氏にとって不利だ」とした上で、「こういう(困難な)時であればあるほど、自分の人間を用い、昔の部下を選ぶのが習氏のやり方だ」と語った。

 かつて江沢民元国家主席や胡前主席が地方の大物を更迭した時、後任に自分の側近を送り込むことはなかった。例えば、胡氏は12年、重慶市党委の薄熙来書記を解任したが、その後任は胡派ではなく、江派の張徳江副首相(後の全国人民代表大会=全人代=常務委員長)だった。後任者の事態収拾能力や党内の政治バランスを総合的に考えたからだと思われる。習氏の人事にはそのような深謀遠慮が見られない。

 インターネット上では2月中旬から、17世紀に明朝が清の侵入や飢饉(ききん)、農民反乱で滅びた時、官僚集団は崇禎帝(すうていてい)の命令がないと動かない状態だったと指摘する筆者不明の文章が出回り、多くの人に読まれた。

 この文章によれば、崇禎帝は政務に非常に熱心だったが、部下がミスをすると、全く信用しなくなり、場合によっては誅殺(ちゅうさつ)した。その結果、多くの官僚が殺されたり、遠ざけられたりして、イエスマンばかりが残った。また、皇帝個人に権力が過度に集中したことから、大多数の人は体制との一体感や忠誠心を失い、「天下はあなた(崇禎帝)のもので、良かろうが悪かろうが、あなたのもの。自分には関係ない」という考えが広がったという。

 文中に中国共産党や習氏への言及は全くないものの、習氏のワンマン路線と国の行く末に対する強い懸念が感じられる。内憂外患に苦慮する習氏は果たして「最後の皇帝」になるのだろうか【解説委員・西村哲也】。

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