桂太郎、「協調」で3度の政権 日露戦争、韓国併合に対処―首相在職最長
2019年11月19日07時16分
通算の首相在任期間がこれまで最長だった桂太郎は、20世紀初めに3度にわたって政権を担い、日英同盟締結、日露戦争、韓国併合など歴史的な局面に対処した。桂に関する著書がある学習院大の千葉功教授(日本近代史)は長期政権を築いた背景を「桂が身に付けた協調的な政治手法が、安定した政治をもたらした」と語る。
桂は安倍晋三首相の地盤の山口県出身。陸軍次官、4度の陸相を経て1901年に初めて首相に就いた。当時は議院内閣制ではなく、安定した政権運営には特に衆院第1党の協力が欠かせなかった。千葉教授によると、桂は第1次政権での政党との調整作業を通じ、協調型の手法を会得していった。
具体例の一つが、予算案を議会に提出する前に主要政党に内示したことだ。政党が力を増す中、予算成立を確実にするためのアイデアで、千葉教授は「当時としては画期的」と指摘する。
1次政権で勃発した日露戦争後、ポーツマス講和条約で賠償金を得られなかったことに国内の不満は高まった。条約の批准には西園寺公望率いる立憲政友会の協力が不可欠で、桂は見返りに西園寺への禅譲を決めた。桂と西園寺は、それぞれ力を維持するため過度な要求は互いに控える「妥協体制」(千葉教授)を構築し、交互に首相に就く「桂園体制」が固まった。
1次政権では衆院を2度解散したが、政友会の協力が得られたことで1908年からの2次政権は比較的安定。千葉教授は「妥協体制が機能した」と分析する。
相手の説得を試みる際、しばしば笑顔で背中をたたく動作を見せたことから「ニコポン宰相」と呼ばれた。桂の協調路線を象徴する呼称と言える。千葉教授は、対照的に安倍首相の政治手法を「剛直」と評すが、その背景には政治制度の違いもあるとみる。現在は首相の権限が強大だとして「今、桂が首相なら強烈な指導力を発揮し、ニコポンと言われることもなかったかもしれない」と話している。
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