わたしはある日、写真部長にソチ行きを命じられた。そこで開かれるジャンプの取材に行き、ついでに冬季五輪を控えた町の様子と、人々(特に美女)を撮ってこい、というお達しだ。この業界で言う「五輪の100日前取材」というやつである。
「記者は誰ですか」
「記者?」
「運動部の人が一緒に行ってくれるんでしょ?」
「いや。お前だけ」
「……」
目が点になった。わたし一人かい!
人使いが荒い会社だと知ってはいたが、まさか、まさかだよ。英語もろくにしゃべれない。ロシア語は「ズドラ―スト ビヴィーチェ(こんにちは)」と、「スパスィーバ(ありがとう)」をあべこべに使ってしまうくらい勉強不足なのに…。家に戻り、「なぜ、わたしが行かなければならないのだ。か弱き乙女なのに…。なぜだ~」と心の中で叫んでは、ビールをグビッ。そうか、昔から「かわいい美女には旅をさせよ」と言うしなあ、と自分を納得させた。美女じゃなく、子だっけ。まあ、いいや。
「野犬がウロウロしているから、狂犬病の予防薬を打った方がいい」
「ロシア語しか通じないから、英語の分かる人を味方にしろ」
「空港の白タクは客引きがすごくて、ぼったくられるぞ」
「男にも気を…まあ、寄ってこないか」
出発前、ソチへ行ったことがある人からいろいろなことを言われたが、「一人で大丈夫か」と本気で心配してくれる人はほとんどいなかった。わたしはどんどんナーバスになった。しかし、与えられたチャンスを手放すのも惜しい。社命だし、行くっきゃない。なんでも見てやろう、撮ってやろう。ハラは決まった。いざソチへ。
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