選手名(ふりがな) | 性 | メダル | 競技 | 種別・種目 |
---|---|---|---|---|
八木 弘和 (やぎ・ひろかず) |
男 | 銀 | スキー・ジャンプ | 70メートル級 |
レークプラシッド冬季五輪から帰国し成田空港ロビーでカメラマンの注文に応じ銀メダルを見せるスキー・ジャンプの八木弘和選手(1980年2月27日、千葉・成田空港)
札幌大会のメダル独占から8年。忘れかけていた興奮を、当時20歳の八木が思い起こさせてくれた。249・2の同得点でデッカート(東ドイツ)と並んで銀。「内弁慶」と言われた日本のジャンプ陣が、海外の五輪で取った初めてのメダルでもあった。
1回目は、低い飛び出しから空中姿勢の良さを見せて87メートルを飛んだ。2回目は完ぺきなジャンプではなかったが、よく持ちこたえて83・5メートル。1回目の貯金もきいてメダルに手が届いた。
名ジャンパーとして鳴らした父・博さんの指導もあり、めきめき腕を上げた。この大会のころは父がナショナルチームのコーチ。一線を画すと決めたのだろう、互いを「コーチ」「八木」と呼び合った。試合の後、博さんは言った。「八木もよくやったが、わたしは(4位に入った)秋元を褒めたい」。父としてではなく、あくまでも日本のコーチとしてのコメントだった。
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